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2010年7月19日

プラズマ科学夏の学校で講演

ごぶさたしてしまいました。
日本での3連休の声を聞きながら、今日は台南市にある国立成功大学に行って講演をしてきました。この大学はプラズマ科学に強いのですが、ここでPlasma Science Summer Schoolが開催されていて、その中の講義の一つとして、チリに建設中のALMAの紹介をしてきました。

もともとアサインされていた方が急用で参加できなくなり、ピンチヒッターとしての参加だったのですが、90分の講演を英語でやったことはこれまでになかったので(というか、日本語でも90分の講演はほとんど経験ない)、プレゼン準備からして大変でした。さらに、聴衆はプラズマ科学に関心のある大学院生と学部生、必ずしも天文学、特に電波天文学に詳しいわけでもありません。という説明は事前に受けていたので、基本からの説明を含んだプレゼンテーションを組み立てたのですが、太陽物理や太陽系内プラズマの観測ならまだしも核融合とかを専門にしている(したい)学生もいて、さらに基礎から準備しておけばよかったかもしれない、と講演の途中で思ったりしました。

とは言っても、講演の目的はALMAに使われる電波干渉計の技術の基礎を教えることではなくて、ALMAというパワフルな望遠鏡がもうすぐできるから関心を持ってみてね、と促すことだったので、そのあたりの目標はなんとか達成できたんじゃないかな、と思います。こういう研究コミュニティ向けプロモーションも、ユーザーたる研究コミュニティとALMAプロジェクトを繋ぐALMA地域センターの仕事の一つ。学部生もいたので英語に難がある場合もあったかもしれませんが、中国語で講演できない僕にはそこはどうしようもできないので・・。

急な講演依頼だったので結構大変でしたし2,3日論文を書く手を止めざるをえませんでしたが、それでもプラスにはなったかなと思います。ここで作ったプレゼンテーションは適宜改訂しながらこれからも使っていくことになるでしょうし。さてさて、また論文書きに戻らなければ。

投稿者 平松正顕 : 23:31 | 研究生活@台湾 | コメント (0) | トラックバック (0) | このエントリーを含むはてなブックマーク はてなブックマーク - http://www.tenpla.net/cgi/hlog/archives/2010_7_19_310.html

2010年3月1日

チリ地震

チリでの大地震から2日が過ぎました。
地震の第一報はtwitter経由で届いたのですが、発生当時の見積もりであったM8.3という大きさに驚きつつも震源が首都サンティアゴから300km以上離れているということで、もともと地震国でもあるし、あの街での被害はあまりないのかと思っていました。が、停電していたりビルが倒壊していたりという情報が入ってくるにつれ、現地にいる多くの知人 -僕の大学院時代の指導教官も今サンティアゴ在住ですし、研究室の先輩たちも現地に赴任されています- の安否が気になりました。幸いにもALMA関連で現地にいらっしゃる皆さん(日本人以外にもプロジェクトに関わるたくさんの人たち)が無事であったと聞いて、ひとまずほっとしたところです。とはいえ、多くの犠牲者が出ていますし空港ターミナルビルも壊れてしまっているとのことで、復興には時間がかかるに違いありません。

チリは、僕にとってはこれまでにもとてもお世話になったし、これからもお世話になるであろう国です。プロフィール写真に使っている電波望遠鏡ASTEはチリにあるものですので、大学院時代にこれを使った観測をするために5回現地に渡航しました。総滞在期間は4カ月くらいになるでしょうか。この間、何度か地震に遭遇し、地震国であることを思い知らされました。そして、現在ASTEの近くにまさに建設中、来年から観測を開始しようという段階にあるALMAに今後も関わっていきますので、これからも何度も渡航することになると思います。

この望遠鏡が置いてある地域、そしてそれ以外にも各国の望遠鏡が設置されている地域は首都サンティアゴよりもかなり北にあるので(ASTEの場合はサンティアゴから飛行機で北に2時間ほど飛んだ街から東へ車で2時間。)、今回の地震による直接的な被害は一時的な停電で済んだようです。自家発電に切り替えてその日の夜には観測に戻ったというラスカンパナス天文台のマゼラン望遠鏡の力強さにも感銘を受けました。とはいってもALMAの本部(Joint ALMA Observatory)やヨーロッパ南天天文台の主要なオフィスがサンティアゴにありますし、地震直後はチリの天文台のウェブサイトにも軒並みつながらなくなったこともあって、無事という情報が届くまでは本当に不安でした。

サンティアゴの街には国内線から国際線への乗り換えの待ち時間の間しか出たことがないので、あまり詳しく街の様子を知っているわけではないのですが、それでも石造りのどっしりとした歴史的な建物が多かったのが印象に残っています。その街が大きな被害を受けているというのを映像で見て、大変心が痛みます。そしてより被害の大きかった震源近くの街の様子にも。現地の少しでも早い復興を心から願っています。

投稿者 平松正顕 : 22:47 | 研究生活@台湾 | コメント (0) | トラックバック (0) | このエントリーを含むはてなブックマーク はてなブックマーク - http://www.tenpla.net/cgi/hlog/archives/2010_3_1_303.html

2010年2月15日

中華民国物理学会@台南

前回のエントリでタイトルに設定したにもかかわらず本文にはほとんど書いてなかった台南での物理学会のことを今日は書きます。

今回の物理学会年会は、台南市にある国立成功大学で開かれました。日本では日本天文学会が春と秋の2回の年会を行っていますが、台湾の天文学会では春から初夏にかけての時期に年に1度年会が開催されます。物理学会の年会は、それとは重ならない時期(冬)に開催されています。

台湾北部はこの季節はずっと天気が悪く、日本でいえば梅雨時期のようなどんよりとした曇り空と長雨が続きます。東京近郊の冬のような、すっきり晴れて寒く乾燥しているという天気とはまるで違います。が、これも台湾北部の話。台湾中央部を北回帰線が横断しており、今回年会が開催された台南はその南に位置しているので文字通り熱帯です。夜に新幹線を降りて台南についたときはそんなに暖かいなとは思わなかったのですが、さすがに昼間はかなり気温も上がり半そででちょうどいいくらいでした。そういえば、台南に行くときに乗った新幹線(台湾高速鉄道)の車両は、高速鉄道の最初の車両だったようです。

物理全体の学会なので、天文学はひとつのセッションでしかありません。台湾の天文学会と比べても発表者が少ないので、シングルセッションでいろんな分野の話が入れ替わりに出てくるので、聞くのもちょっと大変でした。僕もSMAで取得された観測データの解析結果について発表しましたが、僕と同じく星の誕生についての研究発表は僕のも含めてたったふたつ。僕のすぐ後の発表はニュートリノ、そのあともダークマターにブラックホールとかなり異分野でした。口頭発表は12分しかないので、発表の冒頭に簡単なイントロダクションがあるとはいえ正直ついていけません。台湾の天文学会の方ではさすがにそんなことはなくて、同じ分野の話がある程度の数まとまってなされるのでフォローもしやすかったですね。一方で日本の天文学会はずっと規模が大きいので、ほとんど3日間ずーっと星や惑星の誕生についての話が続きます。これに慣れてた僕にはちょっとカルチャーショックでした。発表自体は、前日夜にホテルで一人で時間はかりながらもごもご練習した甲斐もあって、まずまずのできだったと思います。英語の発表でも原稿は書くのではなく、何度か実際にしゃべってみて言うべきこととか鍵となる単語を忘れないようにする、ということを注意してやってます。

2日目の夕方には、懇親会がありました。大学内のアリーナにテーブルと椅子が並び、中華料理がどんどん運ばれてくる形式。あまり日本人の方はいらっしゃらなかったみたいですが、国立中央大学の助理教授さん(この方とは日本にいた時からすでに10年近い知り合い)と僕の研究室の学生さんとテーブルを囲みました。懇親会の最後には、招待講演でいらっしゃっていたノーベル物理学賞受賞者・小林誠先生にほんの短時間だけご挨拶をすることができました。いやー、緊張しましたね。

学会が終わった後帰りの新幹線まで数時間余裕があったので、学生さんと一緒に台南の街を回ってみました。街中の孔子廟、海辺の億載金城と安平古堡(ゼーランディア城)など。億載金城は海に面した砲台なのですが、これは日本の台湾出兵に対抗するために清朝が作ったものだそうです。大砲のレプリカが置かれているのですが、これが日本船に向けられたものだったというのはとても複雑な気分。一方安平古堡はそれより以前、オランダが台湾のこの地域を統治していたときにつくられたものだとか。いろいろな国に翻弄されてきた台湾の姿を知ることができました。撮った写真はこちらのアルバムにまとめておきました。

上に書いた通り異分野の話が多かったので、研究発表に関して実りが多かった、とはあまり言えない感じではありましたが、ともあれこの発表に向けていろいろ議論を詰めたりすることができたので、今後の論文化にもつながっていくだろうという感触を得ています。今年中にもう一本くらい論文が受理されるように頑張っていきたいと思います。

投稿者 平松正顕 : 23:45 | 研究生活@台湾 | コメント (4) | トラックバック (0) | このエントリーを含むはてなブックマーク はてなブックマーク - http://www.tenpla.net/cgi/hlog/archives/2010_2_15_301.html

2010年2月13日

論文、学会、ワークショップ

またまたごぶさたでした。2月第1週は台湾物理学会のために台南に出張、第2週はALMAユーザーワークショップのために台北に出張、帰って来てからはアリゾナ電波天文台での観測を新竹からモニタリングと多忙な日々を過ごしてきました。明日は春節、旧暦のお正月です。台湾は1月1日よりもこちらを盛大に祝うので、さっきからほうぼうで花火の上がる音がしています。

11月15日の記事で論文を投稿したということを書きましたが、先日無事受理されました。11月12日に投稿し、1月2日に査読者からの改訂コメントが返ってきました。投稿からコメントが返ってくるまではだいたい一か月前後だと思うのですが、今回はちょっと時間がかかっていて待っていたところでした。論文を投稿して査読コメントをもらうという作業は、僕は今回を含めてまだ2回しか経験してないのですが、前回とは比べ物にならないくらいポジティブなコメント。前回は結構重大な指摘から細かい英語の改訂要請まで、ほとんど書き直せ、くらいの勢いでのコメントだったので、あやうく改訂する意欲を失いかけるところだったのです。実際改訂にもかなり時間がかかりました。それが今回は、"The paper is well written... 良く書けてる" というコメントで、ちょっと拍子抜けするくらい。いくつか細かな改訂点を指摘されましたが、それも3週間ほどで直して再投稿し、無事に2月1日に受理されました(受理のメール自体は、1月26日に届いてました)。スピーディな受理に持って行けたのも、最初の投稿前に相当いろいろ議論してくださった共著者の皆さんのおかげで、感謝しています。

論文が受理された後は、校正のチェックや投稿料の支払い手続きなどもろもろの作業が続きます。研究論文を論文誌に掲載してもらうには、原稿料をもらうのではなく投稿料をこちらが払う必要があって、これがまた高いのです。論文誌によって違いますが、僕が今回投稿したアメリカ天文学会のThe Astrophysical Journalの場合、1ページ110ドル、カラーの図1枚につき300ドルと結構なお値段。今回の僕の論文は12ページ、カラーの図3枚で、しめて2370ドル。日本天文学会の論文誌の場合はだいたいこれの半分くらいになります。もちろんポケットマネーで払うわけではなく研究所が払ってくれるのですが、税金が元になった研究費からこんな大金を出してもらって自分の主張を世に出すということで、前回の論文の時も背筋が伸びるというかなんというか、そんな感じの神妙な気分になりました。

諸々の手続きとか編集部での編集を経て、実際に論文誌に掲載されるのは3月ごろになりそうです。でももっと早く多くの人に読んでもらいたいので、印刷前の論文を投稿できるarXivにも投稿しました。それがこちら。このサイトには天文学の論文だけでも毎日50編を超える論文が掲載されています。天文学者は毎日このサイトをチェックして、自分の興味ある論文を探すわけです。自分がやっている研究が先にやられているのを見つけることもあって、なかなかスリリングでもあります。

ああ、だいぶ長くなってきたので学会とワークショップの話はまた次の機会に。

投稿者 平松正顕 : 23:57 | 研究生活@台湾 | コメント (1) | トラックバック (0) | このエントリーを含むはてなブックマーク はてなブックマーク - http://www.tenpla.net/cgi/hlog/archives/2010_2_13_300.html

2009年11月15日

観測提案受理と論文投稿

しばらく間をあけてしまいました。いくつかブログに書きたいトピックもあったのですが、ちょっと忙しかったこともあって、文章をかけていませんでした。幸い研究の方も忙しいのはひと段落したので、これからまた書いていこうと思います。今回は、先日採択されたハワイ・マウナケア山頂にあるサブミリ波干渉計(SMA)への観測提案の話と、3年前に観測したデータをもとにした論文を論文誌に投稿しました、というご報告。

僕が専門としている観測天文学というのは広い意味では実験科学に含まれるのですが、日々実験(観測)しているわけではありません。天文学者と言うと日常的に天体観測しているというイメージもあるかもしれませんが、それも違います。僕の場合、直近の1年間で自分の研究として望遠鏡でデータを取得したのはせいぜい2週間くらいでしょう。僕の博士論文に使ったデータも、5年間の中の合計2ヶ月くらいで取得したものです。そうして集中的に取ったデータを時間をかけて解析し、共同研究者と議論しながら論文を書き上げる、というのが観測天文学者の典型的な研究サイクルとなります。

このサイクルの起点となるのは、世界のいろんなところにある望遠鏡に対して観測提案を作成し提出することです。そのためには自分や他人のこれまでの研究状況を整理し、何が解明されていなくてどんな観測を行えば解明できるか、というのを考える必要があります。そして観測提案書(プロポーザル)に、「こういう重要な謎があって、これを解明するためにこの望遠鏡を使いたい。この観測によってこのようなことがわかり、これは天文学に対してこういうインパクトがある。」ということを数ページにわたって記述するわけです。世界中の望遠鏡がこういった観測提案の募集を年に数回していて、世界中の天文学者が各自の研究テーマに応じて観測提案を送るわけです。観測提案を全世界から受け付けているところもあれば、観測時間の一部を自国の天文学者に優先的に割り当てているところもあります。競争率は天文台によっても違いますが、典型的には2倍から5倍といったところでしょう。

今回採択されたのは、ハワイ・マウナケア山頂にある電波望遠鏡、サブミリ波干渉計(SMA)に対して9月に提出した観測提案です。SMAは、アメリカのハーバード・スミソニアン天体物理学センター(CfA)と僕の所属する台湾中央研究院天文及天文物理研究所(ASIAA)が共同で運用する電波天文台です。今回、観測時間を得るための倍率はだいたい3倍だったそうで、今回の提案が受理されたのは提案作成段階で議論をしてくださった共同研究者の皆さんのお力も大きく、感謝しています。SMAは当日の天候によってダイナミックに観測を割り当てるので、僕の観測が実際に実行されるかどうかは天候に依存します。ですので実際に観測データが得られるまでは安心できないのですが(とはいっても相手は天気なので心配しても仕方ない)、データが届くのを楽しみに待ちたいと思います。

その採択の連絡が来た2日後には、これまでやってきた別の研究をそのまとめに相当するところまで進めることができました。以前野辺山宇宙電波観測所口径45m電波望遠鏡で観測したデータをもとにした論文を、アメリカ天文学会の論文誌 The Astrophysical Journal に投稿したわけです。このデータは2006年4月に2週間野辺山に滞在して行った観測で得られたものです。この時はちょうど日本学術会議が音頭を取って行われた全国でのサイエンスカフェの一環として、倉敷の大原美術館でのサイエンスカフェを天プラとして計画していたころでした。せっかく僕の故郷でイベントができることになったのに本人は観測出張で会場にいけない、という何とも残念なことになってしまったのですが、その時のデータをようやくまとめることができました。時間がかかってしまったのは、このデータは博士論文には盛り込まなかったので、博士論文の準備をしていた1年間ほどの間は完全に脇に置いておいた状態だった、というのもひとつの理由ではあります。本格的に論文としてまとめ始めたのは、最近1年くらいでしょうか。この間、筆頭著者である僕と共著者お二方との間での論文原稿改訂は10回を超え、これまで自身の研究ではあまり足を踏み入れていなかった化学的な側面(宇宙でも多彩な化学反応が起きています)についても盛り込むことになりました。論文は最初は一人で書くのですが、やはりそれだと独りよがりになっていたり説明が不十分なところがあったりするので、こうして共著者との議論を根気よくたくさん重ねることで、しだいによい文章になっていきます。一般に科学的な言説というのは、こうして共同研究者や時にはライバルとの厳しい議論を耐え抜いているからこそ一定の信頼が得られるものです。議論には大変労力を使うのですが、これがあるからこそ科学が科学として一歩ずつ進んでいくことができるわけです。とはいえやっぱり時間かかりすぎなので、スピーディーに論文をまとめる術を少しずつでも身につけていきたいと思っています。もちろんこれから論文の査読者がいろいろとコメントを送ってくるので、査読者がOKというまで(論文が受理されるまで)きちんと対応しなくてはいけません。その意味ではまだ一段落というには早いので、とりあえず一段落の前の小休止、というところでしょうか。

研究はいろいろ並列して行っているのですが、いろんなデータをためているだけではいけません。きちんと論文化、いわば消化していかないとデータがたまる一方で消化不良を起こしてしまいます。そういう意味では、観測提案が採択されるのとほぼ同時に論文を投稿できたというのはいいタイミングだったと思います。ハワイの天候が安定して、無事に観測データが届くように祈りながら、別のデータの解析を進めていこうと思います。

投稿者 平松正顕 : 22:19 | 研究生活@台湾 | コメント (8) | トラックバック (0) | このエントリーを含むはてなブックマーク はてなブックマーク - http://www.tenpla.net/cgi/hlog/archives/2009_11_15_294.html

2009年8月19日

野辺山出張、豪雨

ブログの更新が滞ってしまいました。
8月8日から5日間、野辺山宇宙電波観測所に出張してきました。今回は観測ではなく、研究打ち合わせが目的でした。これまでの観測成果を持ち寄り、これから観測提案が募集されるハワイやオーストラリアの望遠鏡にどんな観測を提案するか、今後の協力の方針の議論や論文執筆の打ち合わせなど行いました。普段はメールやテレビ会議での議論が中心ですが、たまには面と向かって集中的に話し合いをする機会も重要です。今回は、アメリカが打ち上げた赤外線宇宙望遠鏡Spitzerで新たに見つかり始めた暗い天体についての議論がメインだったのですが、ひとつの望遠鏡の観測結果だけだと素性がよくわからない天体も、複数の望遠鏡の結果を合わせて考えてみると実は重要な兆候が見えてる(かもしれない)、という結論に。今回も大変実りの多い出張となりました。

台湾を発って日本に向かった8月8日は、ちょうど台風8号が台湾を襲っていた日です。前日の時点で飛行機の遅延が決定していたのですが一応飛ぶということで、新幹線は動いてなさそうだったのでタクシーで空港まで行きました。台風がほとんど真上にいるはずなのにそんなに風雨は強くなく、飛行機も遅延予定時刻通りに飛びました。

今回の台風も大したことないのかな、とその時は思っていたのですが、日本についてからニュースを見て台湾南部では大変なことになっていたというのを知りました。僕の住んでいる新竹市も空港も北部にあるのですが、南北でこれほど違うとは(ちなみに台湾の大きさは九州くらいです)。激しい所では3日間で3000mmという猛烈な雨が降り、特に山間部では土砂崩れも多発したようです。村一つまるごと濁流に飲まれてしまうとか、道路や鉄道もいたるところで寸断されているようで、復旧にも時間がかかりそうです。

昨年の6月に所属する天文研究所の所員旅行で台湾中部の阿里山に行ったのですが、この一帯もかなりダメージを受けているようです。日本統治時代に木材搬出用として作られ、今は高山鉄道として観光客を乗せて走っている阿里山森林鉄路も線路が崩れたりトンネルがつぶれたりして、復旧には2年かかるとも言われています。山頂で日の出を見ることができたりヒノキの大木の間を散策することができたり、とても美しくていいところだったので、今回の被害は大変心が痛みます。1日も早い復旧を願っています。

投稿者 平松正顕 : 23:36 | 研究生活@台湾 | コメント (2) | トラックバック (0) | このエントリーを含むはてなブックマーク はてなブックマーク - http://www.tenpla.net/cgi/hlog/archives/2009_8_19_283.html

2009年6月9日

研究会@台北

カナダでのワークショップから金曜日に東京に戻り、土曜日に天文部時代の友人の結婚式に出席し、日曜日に台湾に戻って月曜日から今度は台北での国際研究会 "Millimeter and Submillimeter Astronomy at High Angular Resolution"に参加しています。参加者が200人を超える大きな研究会で、ALMAの観測スタートが着々と迫ってくる中これまでの研究結果をまとめ今後の展望を示す、というのが大きなテーマです。昨日は系外銀河の話題だったのですが、今日からは僕の研究分野でもある星形成のセッションが始まりました。いろんな話を聞いて刺激を受けて、今後の糧にしたいと思っています。

投稿者 平松正顕 : 23:57 | 研究生活@台湾 | コメント (1) | トラックバック (0) | このエントリーを含むはてなブックマーク はてなブックマーク - http://www.tenpla.net/cgi/hlog/archives/2009_6_9_265.html

2009年5月21日

ASROC2009、まもなく。

明日から、中華民国天文学会(Astronomical Society of the Republic of China, ASROC)の2009年年会に行ってきます。場所は台湾最南端のリゾート地、墾丁(かんでぃん)、のちょっと外れのあたり。国立海洋生物博物館が会場です。

昨年も書きましたが、日本の天文学会年会に比べてとてもコンパクトな学会です。教育セッションだけ別にありますが、太陽系も星形成も中性子星も遠くの銀河もひとつの会場で発表がなされます。日本だと分野ごとに部屋が分かれて並行して発表が行われるのですが、こちらはひとつ。そして全部英語です。今回僕はポスター発表なので、数時間前に作成を済ませて大学近くの印刷屋さんにプリントアウトをお願いしてきたところです。

今年は世界天文年ということで、大学ではなく博物館での開催です。そしてそこを訪れる人に向けた展示物も準備します。台湾でもいくつかの天文学プロジェクトが進んでいますので、その紹介をするわけです。さすがにこれらの展示物は中国語で書かないといけないので僕はお手伝いできないのですが、野辺山宇宙電波観測所の一般公開で使われていた干渉計観測シミュレーションプログラムをお借りして、こちらでも同じデモをやることになりました。電波干渉計というのは、ぼんやり広がった構造を見るのは不得意で、細かい構造を浮き上がらせることが得意な装置なのです。これを体感してもらうために、カメラで来場者の顔を撮影してその細かい構造だけ浮き立たせるような画像処理を施して画面に表示させる、というものです。さて、こちらの皆さんはどんな反応を見せてくれるでしょうかね。

学会付属のイベントとしては、この展示のほかに土曜日の夜に天体観望会も企画されているようです。題して「南十字星座観星活動」。そういわれれば、台湾南端なら南十字星も見えますね。といっても、十字の一番北の星でも高度10度までしか昇りませんが。でも南は海しかないはずなので、晴れればきっと見えてくれるはずでしょう。楽しみです。

投稿者 平松正顕 : 22:41 | 研究生活@台湾 | コメント (3) | トラックバック (0) | このエントリーを含むはてなブックマーク はてなブックマーク - http://www.tenpla.net/cgi/hlog/archives/2009_5_21_262.html

2009年4月14日

11年半ぶりの再会×2

1997年の夏、僕はつくばの高エネルギー加速器研究機構(KEK)にいました。日本国際教育協会(現:日本学生支援機構)主催の高校生向けの「インターナショナル・サイエンス・スクール(ISS97)」に参加するためです。インターナショナルの名の通り、日本から11名、環太平洋地域11カ国から11名の計22名が9日間にわたってKEKに滞在し、高エネルギー物理についての講義と実習が行われました。並行して生物学のプログラムも同じ規模で、こちらは東大で行われていました。当時のウェブページは既になくなってしまっていますが、1994年に行われた第1回ISSについての文章がありました。97年のときとは講義の構成がかなり違っていますが、ご参考まで。

高校当時所属していた物理部の顧問の先生が「ヒラマツ、世界に羽ばたいてみないか」と冗談交じりに教えて下さったこの企画。確かKEKとスーパーカミオカンデで計画されていたニュートリノ振動実験K2Kについての英作文を提出し、参加できることになりました。期末試験直前に届いた教科書はもちろん英語、当時はまだ高校で電磁気を習う前だったので、前述の先生とマンツーマンで教科書を読みながら加速器の原理を予習したりしていました。

実家の岡山から初めて東京まで出て、参加者たちと合流してつくばのKEKへ。本物の研究者による講義(しかも英語)、海外から来た高校生との交流、最先端の研究設備、何もかも初めてでした。講義は、素粒子の世界、加速器の原理、計算機の原理、シミュレーションの紹介など盛りだくさん。班ごとに分かれての実習では、スーパーコンピュータで円周率を計算したり、ガイガーカウンターを作ったり。僕も初めて触るFortranでスパコンに計算させた覚えがあります。夕食の後にはみんなでカードゲームをしたり、体育館でバレーだかバドミントンだかをやったり、花火をしたり、もちろん一緒に次の日の予習をしたり、いろんな事をやりました。英語が未熟な僕たち日本人参加者に、英語ネイティブな高校生が身振り手振りを交えて単語の意味を教えてくれてたのを覚えています。

ISS97の参加者とはその後も少しは連絡を取り合っていたのですが、そのうちの一人とは大学の天文サークルで思わぬ再会。それ以外の人とは残念ながら疎遠になってしまいました。

そんな17歳の夏(!)から11年後、台湾に移った僕のもとに別の参加者T氏からメールが届きました。なんと、僕がいる清華大学の隣の国立交通大学にポスドクで赴任すると。なんという偶然。というわけで11年ぶりの再会を果たし、先日の台北での天文年イベントにも一緒に参加しました。

そして数日前、大学の物理館のエレベーターに貼ってある物性物理のコロキウムの案内に、見覚えのある名前を見つけました。ISS97にアメリカから参加していたノアでした。なんという偶然!そして今日、となりの大学から来たT氏と一緒にコロキウムが終わったノアに話しかけてみました。

"Do you remember us?" と質問した我々に、「Oh! オヒサシブリデスネ〜」と日本語で返してくれたノア。驚いていましたが、すぐに思い出してくれました。僕は天文学、T氏はひも理論、ノアは物性物理。大きなくくりでは「物理」ですが、それぞれ違う分野でポスドクをやっていて、その3人が最初に会ったKEKとはあんまり関係のない所で再会。T氏は「必然だよ〜」と言っていましたが、世界は実は狭いのでしょうか。

このISS、予算の都合?で僕たちが参加した数年後になくなってしまったのが残念です。今では国立天文台の君が天文学者になる4日間や東大の銀河学校などいろんな高校生向け実習がありますが、97年当時はまだあまりなかったように思います。歴代のISSに参加したみんながどうなっているのか、一度同窓会のようなものを開いてみたいなぁ、と思わせてくれた今回の印象的な再会×2でした。

投稿者 平松正顕 : 23:56 | 研究生活@台湾 | コメント (2) | トラックバック (0) | このエントリーを含むはてなブックマーク はてなブックマーク - http://www.tenpla.net/cgi/hlog/archives/2009_4_14_254.html

2009年4月8日

台湾1年。

2008年4月8日に嵐の中成田空港を飛び立って30℃の台湾に到着してから、今日でちょうど1年でした。なんとも月日がたつのは早いものです。

ウチの研究所では、筆頭著者として投稿論文を年に2本出すことがポスドクポリシーに明記されているのですが、そのノルマは果たせませんでした。目下1本目のドラフトを共著の方々に回覧して改訂の真っ最中であります。これを含めて日本から持ってきたネタが論文3,4本分、こちらに来て始めたネタが1本分あるので、ペースをあげて進めていかなくてはいけません。1年ちょっと前の送別会の場で、大学院時代の師匠に「論文を書くスピードを身につけるといい」と言われたことを思い出します。

英会話は、1年前よりはだいぶ上達したと思います。中国語は全然ですが。文化的にも距離的にも日本に近い台湾、とはいえ海外は海外。こちらでの生活にももう慣れましたし、「案ずるより産むが易し」なのかもしれないな、と思っています。

さて2年目。2年間の契約(実は1年で更新だったのですが)なので今年は昨年にも増して成果が求められます。気を引き締めて頑張っていきたいと思います。

投稿者 平松正顕 : 23:37 | 研究生活@台湾 | コメント (2) | トラックバック (0) | このエントリーを含むはてなブックマーク はてなブックマーク - http://www.tenpla.net/cgi/hlog/archives/2009_4_8_253.html