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2008年1月20日

天文学会100周年

2008年は日本天文学会設立100周年に当たります。朝日新聞にも記事が出ていますが、この100周年を記念して3月に記念切手が発売されるそうです。日本郵便の案内のページによると、太陽系の惑星、銀河、小惑星、火星、そして小惑星探査機「はやぶさ」、X線観測衛星「すざく」、国立天文台のすばる望遠鏡と野辺山45m電波望遠鏡が並んでいます。過去にもいくつか天文学を題材にした記念切手は出ていたようですが、今回のはこれまでに比べて枚数も多いですし、とても魅力的です。「冥王星が入ってない」と未だに新聞には書かれてますが、いっそのことセドナやエリスと一緒に(ついでにケレスも)描いてしまえば、広がりゆく太陽系が読み取れて面白かったのに、とは思います。

天文学会は『天文月報』という月刊誌を出しているのですが、多くの過去の記事がpdfで読めるようになっています。100年前の記事も読めるのですが、当時の天文学の様子を垣間見ることができて面白いです。1908年5月号では、『太陽からアンドロメダ"大星雲"までの距離が19光年と測定された』という記事があったりします。現在ではその距離は約230万光年と求められているので、100年前の天文学者が思い描いていた宇宙は現在わかっている姿とはまったく違いますね。もっとも、その当時はアンドロメダ"星雲"のような星の集まりが私たちの銀河系の中にあるのか外にあるのかもわかっていなかったわけです。アンドロメダ銀河までの距離が比較的正しく測られたのは、1924年エドウィン・ハッブルの手によってでした。というあたりはJSTの天文学の歴史をどうぞ。

天文月報第1号(1908年4月号)には『発刊の辞』として当時の会長、寺尾壽氏の文章があります。ちょっと引用すると

天文学に対して世間に二つの誤解あり、第一天文学はただ徒に高尚にして実用に遠しということ、第二天文学は徹頭徹尾煩雑なる数字の結合にして,素人には到底その門牆をだに窺い得られぬ者ということなり
(中略)
実用という辞は、世人と共に我々の物質的要求を満足せしむる者という意味に用いたり、然るに人類は物質のみにて満足する者にあらず、吾人の口や腹が飯や菜を要求するが如く、吾人の精神もまた何物かを要求す、此精神の要求こそ最も高尚なる者にして、「人の以て禽獣に異る所」の主なる点なれ、しかして吾人目を挙げれば直に天を見るが故に、天は人類全体の精神的要求の共同目的物なり、假令天文学をして所謂実用と何等の関係をなからしむるも、なおかつ吾人の研究を値すというべきなり。(後略)

100年で大きく発展した天文学ですが、当時も天文学は実用的でないという批判があったのでしょうか。これは今も変わりませんね。そして「明日の物質的豊かさ」という以外の指標での豊かさを求めているのである、という天文学者側の意見も同じ。こういう批判がなくなる時代は永遠に来ないだろうと思いますし、なくならない方がむしろ健全な世の中かもしれません。だからこそ天文の人間はこれからも天文学の魅力を発信し続けなければいけないのだろうと改めて感じさせてくれた、100年前の文章でした。

投稿者 平松正顕 : 20:04 | hiramatsu log

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