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2008年9月24日

科学は人を幸せにする

と断言できたら簡単なんだけどそうもいかない。
今回はどうも自分の中で意見がまとまってないので普段と違う文体でお届けしますがご容赦のほど。

各地の自治体の財政状況が厳しい折、故郷岡山県も財政構造改革プランを発表して経費削減に努めるとのこと。その中に、プラネタリウムを擁する岡山県立児童会館の廃止が提案された。そしてこの改革プランについてのパブリックコメントも募集されている。締切は9月26日(金)。

この問題を考える上での基礎資料は、

    ・岡山県人口約200万人、岡山市人口約70万人(まもなく政令指定都市)。
    ・財政難により岡山県は6月に財政危機宣言を発表。
    ・岡山市内のプラネタリウムは児童会館だけ。
    ・岡山県内には倉敷科学センターと浅口市の岡山天文博物館にプラネがあり、岡山市中心部から倉敷科学センターまでは約30km、車で1時間ちょっと。
    ・児童会館全体としての年間来場者数は約10万人。
    ・児童会館の年間維持費は3000万円。
    ・児童会館のプラネは僕が初めて行ったプラネである。

オンラインリソースとしては、天プラML内でMさんがまとめてくれたのを拝借して

政令市になろうという都市から、天文学に触れる場であるプラネタリウムがなくなってしまうのは非常に惜しい。もちろん上記最後の点から個人的思い入れも強い。だけど、財政の厳しい現状と、補修の可能性が少なからずある昭和38年設置の古いプラネタリウムと建物を見るに(って実際に見たのはもう何年も前だけど)、単純に「惜しい」ってだけで存続の方向でパブリックコメントを送るのは天文関係者としてのエゴでしかないような気がする。

これはたぶん天文学全般にもいえること。現代天文学のほとんどの部分は、暦の算出という面で生活必需品だった天文学とは大きく離れてしまった。一方で、独裁的な君主が贅の限りをつくすその一部として天文学が行われていた時代でもない。ごく一部民間資金を活用したプロジェクトはあっても、ほとんどは民主主義国家の国民から集めた税金でまかなわれているのが現状。教育や福祉やその他諸々の事業のためにお金が必要な中、どうやって天文学にお金を割いてもらえるか? 「天文学は人類を幸せにする、あるいは価値があるから、必要である」と政治家も官僚も含めたみんなが考えて進めていくしかない。

少なくとも僕個人としては「天文学は幸せをもたらす」と思ってる。これは単にそう「信じている」わけではなくて、それなりの数のアウトリーチ/科学コミュニケーション活動を国立天文台観望会や駅前でのゲリラ的観望会や天プラの諸活動でやってきたことがその根拠。講演会やサイエンスカフェでの老若男女問わないキラキラした眼、街角で思いがけず接した土星の環に対する歓喜の声、長期入院を余儀なくされている子供がディスプレイの中に広がる太陽系を見た時の笑顔。あとは天体の誕生と死を扱ったプラネタリウム番組を観終わった後にお客さんが言ってた「いやー、人生観とか世界観変わったわ〜」という一言。これらは僕がそういった活動をする大きなモチベーションとなっているし、天文学の研究をすること自体のモチベーションの一部になっていることも間違いない。

多くの方が指摘されるように科学の良い面を見ているだけではもちろんダメで、科学がもたらす(かもしれない)直接的な不幸だけじゃなくて、科学(天文学)にお金をつぎ込むことで失われる他の可能性にも思いをめぐらせるべき。そしてその失われた可能性を補って余りある価値が科学(天文学)にあるかどうか、あるいはどの程度なら科学や天文学にリソースを割いてもいいかを考えて、それを専門外の人とも議論する必要があるんじゃなかろうか。もちろん価値観とか幸せの基準は人それぞれだから全会一致にはならないだろうけど、少なくともほとんどの人が納得できる材料はあったほうがいい。科学の重要性をエコとか学力低下とか理科離れとか流行りの「あおり文句」に絡ませるのは簡単だけど、そうじゃなくてもっと根本的なところから示してみたい。

というようなことを、プラネタリウムの廃止提案だとか天文台にお金出さないぜみたいな状況が発生してから慌てて考えるんじゃなくて、やっぱり日頃から意識しておかないとね。プラネタリウム業界では渋谷の五島プラネタリウム、池袋のサンシャインプラネタリウムと2度の閉館ショックがあって、長年読んでいた天文雑誌SKY WATCHERの休刊があって、それらも僕の活動のきっかけの一部ではある。

とずっとこういうことを考えていると研究が進まなくて本末転倒なんだけど(だって僕は天文学の成果を示すことでその必要性を訴えたいと思っているから)、頭の片隅にはこの問題を置いておいて、たまにじっくり考えたり議論したりする、というのが良いバランスなんだと思う。

とにかくパブリックコメントを考えてみよう。

投稿者 平松正顕 : 17:47 | 科学コミュニケーション

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失われる可能性にも思いを巡らせて。

平松さんが考えています。私も考えています。そして、科学や科学コミュニケーションに携わる多くの人にこういうことを考えてほしいので†...

けやきのき : 2008年9月24日 21:36

コメント

平松先生、こんばんは!

人口200万人の岡山県でも、そんなことが起こっているんですか?
私が住んでいる秋田県は、130万人弱の人口です。
10年前くらいから断続的に県職員の給料を下げ、今年度は、知事の一言で一気に7%下がりました。
他に、県や市の施設をどんどんNPO法人などの民間に運営させ始めました。運営引き受け団体が、ぎりぎりのコストで運営をする施設も多くなりました。
それでも、地方の行政は大変なようです。

でも、地方の責任だけではなく、政府の方針にも問題があり、地方交付税の大幅な削減は相当こたえています。また、行政改革の影の部分で、相当数の会社が潰れ、まだまだつらい状況にあります。

こんなつらい状況の中でも、すばる望遠鏡などの天文学のニュースやJAXAのニュースには、皆胸をときめかせています。先日、林先生がTVに出演され、すばる望遠鏡を紹介してくださったことでも、相当な反響がありました。
今まで、知らなかった人でも、こんなにすごいことをやっているんだと驚いていました。
(爆笑問題は失礼千万でしたけど・・・)

秋田の私の回りの天文学には興味の無い人達でも、林左絵子先生の講演を聞いて、本当に日本は素晴らしいことをやっているんだねと感激していました。
ちょっとナショナリズムが入りますが、自分の国で、そういう高度なことができるというのは、誇りでもあります。政治が安定していて、文明が高度でなければできないことだと、皆分かっていますから。

平松先生も、心配なさらずに研究を続けてください。
私も、天文学が好きになって、人生観が大きく変わりました。・・・私にとって、専門の音楽よりも大きな幸せをもたらしてくれるものです!





投稿者 sopuranovoce : 2008年9月24日 23:59

パブリックコメント締め切られましたね。

いろいろ思ったのですが、今回、児童会館を廃止するというのは、科学普及の拠点の廃止であり、また、科学普及の港や駅の廃止なのだなあ ということです。

後者の観点でいうと、国の施策も、民間のボランティアも、科学と子どもをテーマに何かやろうというとき、各地の港にあたる施設をまずターゲットにするということです。

そういう施設を閉めてしまうということは、これら様々な支援や補助金をシャットアウトすることになります。

また、専門的にやっているスタッフをなくしてしまうことは、評価ができないで、みすみすチャンスを逃すことにもなります。

それをいうためには、様々な外部の協力を取り込んでいる実績か、これからの見通しを示すのがよいとなります。

科学教育分野は、国も民間(特に製造業)も危機感を持っているため、様々な支援が見込まれます(国語教育やら、社会科教育と大きく違うところ)。

総体として、がんばろう という分野の港を閉めるというのは、将来得るべき大きな宝への「鎖国」である。そんな意識が岡山にあるのかな。たぶん「福祉」やっている人にはないんだろうな。と思った次第です。

投稿者 大阪のわたなべ : 2008年9月27日 00:40

コメントありがとうございます。
sopuranovoceさんのように天文学に感動し、応援して下さる方がいらっしゃることが、私たちの励みになります。天文学その他の基礎科学によって人類の智を増大させる、そういう国際貢献もあっていいはずだと思いますので、様々な意見を聞いて政策決定がなされてほしいと思います。

大阪のわたなべさん、コメントありがとうございます。僕もそういう方向のパブリックコメントを提出しました。児童館だけあって、福祉をやっている部署の管轄なんですよね。これを機に教育と福祉の両面でこの施設をとらえなおしていただいてもう一回議論してほしいと思います。

投稿者 平松正顕 : 2008年9月27日 23:52

はじめまして。suikyoさんのブログからきました。

私は、創薬研究という極めて現実的な研究に携わっていますが、自然科学や基礎研究の分野も非常に重要だと考えています。だから、研究者の方には、自身を持って大事だと言ってほしいと思うし、応援したいと思っています。

天文学、という難しい領域はよく知らないので恐縮なのですが、私は子供の頃から、星が大好きでした。お年玉を貯めて天体望遠鏡を買い、自分で土星の環を見つけたり、木星の4つの衛星を見つけた時の感動は今でも覚えています。

大人になってからも、オーストラリアの海上に船で一泊した時に見た真っ暗な夜空に浮かぶ満点の星、裏磐梯で見た天の川、石垣の海で見た流れ星。星ってこんなに流れるんだ、と満点の星空にはいつも驚かされます。

「星」に触れ合って感動しない人はほとんどいないと思います。平松さんがおっしゃるように、ただ、その感動を知らずに生きてるだけだと思います。夜空に星があることを見つけにくい程、明かりがこうこうとしている。便利と引き換えに、そういう社会を作り出してしまったことへの反省が求められているのかもしれません。

つい熱く、長々と書いてしまいました。もう少し大きくなったら、自分の子供を星を見せに連れて行きたいと思ってます(夫も星座大好き人間です。)

投稿者 ママ研究者 : 2008年9月28日 00:02

ママ研究者さん、はじめまして。
コメントありがとうございます。私も自信を持って天文学の重要性をお話しできるように、いろいろ考えたり行動したりしていきたいと思っています。

星空に感動してくれる方はホントにたくさんいらっしゃいます。都心でも満月は望遠鏡や双眼鏡なんてなくても十分感動できる対象ですが、残念ながら夜空に月があること、あるいは夜空があるということそのものが意識されることが少ないと感じています。そこに夜空があって、それが自分たちの日常とつながっている存在である、と感じてもらうことが天文学の第一歩だと思いますし、そう考えれば天文学は非常に身近な学問であると思うのです。天文学も難しい部分は難しいのですが、まずは身近な存在と感じてもらうこと、そこから始めていきたいと思っています。

投稿者 平松正顕 : 2008年9月28日 16:30

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